選択と幸せ
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wellness investment clubのtoshiです。
前回のブログでは、ある研究によると、人は1日に最大で35,000回もの決断をしており、その中でも多くの比重を占めているのが、「食事」に関することで、そして、その食事に関しては、約221回もの決断をしているっていう話をしたわけだけれども。
自分なりにその食事に関する決断を少しでも減らせたならば、1日を通して起きてくる決断疲れを緩和して、脳のリソースをほかに回して、仕事なり趣味なりのパフォーマンスをもっと上げれるんじゃないっってことを考察していくなかで、心理学的観点から一つの答えが見えてきそうなんだよね。
得てして、ヒトって選択肢が多く与えられれば与えられるほどに幸福度が増していくもんじゃない?ってふうに現代では一般的に考えられていて、だから世の中には、ある一つの商品に対して、これでもかってくらいのバラエティーに富んだ派生商品があるわけなんだけど。
搦め手
実はそれって、一種の罠なんじゃないか?
っていうことの気づきを得られたのが、心理学者のバリー・シュワルツがTED Talkで示されている「選択のパラドックス」という概念なのである。
TEDの檀上で彼が話していることを聞いていると、豊かさの尺度について再考するべきなんではないかと思ざるえなくなってくる。
スーパーに並ぶ、ざっと100種類を超えるであろうサラダドレッシングの数。
これに対して、人の意識は、「開放感」ではなく、圧倒的な「無力感」を覚えるというのである。
100種類以上に及ぶサラダドレッシングからこれだと思う最高のものを選んだとしても、得られる満足度は低くなる傾向にある。
なぜならば、それだけのラインナップがあれば、もしかしたら、もっとより良いものを選べたはずでは?ということが常に脳裏をかすめているからである。
氏は言う。
「それがとても、いい決断だったとしても、選択肢が増えれば増えるほど自分が選んだオプションに対して不満を感じやすいことになる」
選択肢というものは増えるほどに、自分の期待値を天井知らずに跳ね上げていくのである。
最高のものを選びに選んだ、けれども…、もしかしたら、もっといいものがあったのかも…って具合に、天井だと思ったそのまた上に新たな天井が見えてくる。
ここで、パラドックスが生まれるわけである。
選択肢が増えるほどに期待値が完璧を求めていくようになる中で、望みうる最高のことも結局は期待通りということになるのである。
そこにはもはや、驚きなんてものはあり得なくなっているのである。
ほどよく、数種類の中から選べていたほうが、まだ良い意味での驚きを得られていたのではなかろうか?
The secret of happiness
そこで、氏はTED Talkにおいて、逆説的とも言える、しかし芯をついている「幸せになる秘密」についてこっそりと教えてくれるのである。
「皆さんが今日ここに来た目的、幸せになる秘密とは期待値を低く持つということです」
私たちは、幸せを享受できるラインを優に超えてしまっており、圧倒的な選択肢の多さに無力感に陥っているのである。
天井知らずの期待値に対抗する術は、自分の期待値のハードルを下げること。
ハードルが低ければ、低いほどに自分の期待値を超えてくるものに対して、忘れていた驚きを感じることが出来、それがささいな幸せを運んでくるのである。
ここから、ひとつの帰結として、前回のブログでも話していたけど、自炊筋トレの一環として、マヨネーズを自分で作ってみようと思い至るわけである。
自分で作るマヨネーズって、所詮はたった数種類の食材で作るもの、それほど期待値も高まろうわけもないが…、しかし、何から何まで自分で食材を選び、自分で作る、そして出来立てを食べれるっていうだけで、余裕で超低位にまで下げたハードルを越えてきて、そこには、市販の多彩すぎるラインナップから選んだマヨネーズでは味わえない圧倒的な幸福感を引き起こすのである。
たかが、マヨネーズ、されどマヨネーズなのである。
これぞ、バリーさんから学ぶマヨネーズ幸福論。
この選択のパラドックスという考え方は汎用性がある心理学的スキルであると思う。
100種類を超えるサラダドレッシングの前で圧倒的な無力感を感じるならば、自分で作ってしまえばいい。
自分で3種類でも作れるようになる。
そして、自分で作るその3種類のサラダドレッシング以上の期待感を持たない。
こういった考えを他のもろもろの事に当てはめてみると、人生が凄まじくイージーモードに切り替わる瞬間があるのである。
では、また。
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