孤独は毒にも薬にもなりうる
書籍『THE GOOD LIFE』(ロバート・ウォールディンガー、マーク・シュルツ)によると、
「84年間にわたる研究やさまざまな研究の知見をもとに、生きるためのたった一つの原則、人生において投資すべきたった一つのことを集約すると、次にようになる。
健康で幸せな生活を送るには、よい人間関係が必要だ。以上。」
とある。
科学的に健康で幸福な人生を送るための唯一無二のベストな選択とは
〝よい人間関係〟
これに尽きるというのが、はっきりと一つの明確な答えとして示されているのである。
「ハーバード成人発達研究」という過去に類を見ないほどの大型の縦断研究により、幸せのひとつのレシピがはっきりと示しているのが、いかに他者との関係を良好に築いていくかということであるけれども、確かに、確かにそれは真理中の真理、よい人間関係抜きにしては人生なんてモノクロでつまらないものではあるが、孤独というものが持つ強大な力もそれに負けじと健康で幸福な人生を送るためのエッセンスなのではないかと思うのである。
孤独には寿命を縮ませる原因があるとか、カラダに慢性炎症を引き起こしたり、さらには脳の機能まで衰えてしまうなどといった多くのデメリットがあるが、それを補うほどのメリットにも目を向けていきたい。
とくに現代の常に携帯電話でSNSとつながっており、超情報過多で脳が「興奮」と「脅威」にさらされ、交感神経が優位に働きすぎていたり、ドーパミン分泌が過剰すぎるシステムの中では、孤独が持つ力がよりスポットを浴びる時代は今をおいて他にはないのではあるまいか?
孤独って?
そもそも孤独とはどういう状態を指すのであろうか?
置かれた状況や環境で意味合いが変わってしまうが、ここではわたしがお気に入りの定義で話を進めていきたい。
書籍『デジタル・ミニマリスト』(カル・ニューポート/ハヤカワ文庫)によると、
「孤独とは、自分の思考が他者の思考のインプットから切り離された意識の状態を指す。」
それは、山奥の人里離れた、電波も届かないような場所といった、物理的に隔てられた状態でいることとは関係なく、日常的にどこにいようとも、例えば、土日の渋谷のスクランブル交差点にいようが、平日の満員電車の中や、人でにぎわう居酒屋や行列必至の人気のカフェにいようが、自らの思考とのみ向き合っている状態であるかぎり、それは孤独と呼べるのであるという。
孤独とは、そのときどのような場所にいるかにかかわらず、他者から生まれた情報に反応せずにやり過ごし、自分の思考と体験にのみ集中することなのである。
その定義を読んだ時に、自分が孤独の時間の中に存在できたことなど、物心ついた時からないのかもしれないと、ハタと気づいたのである。
基本的には、外出中だろうと家にいようと、常に携帯がカラダの一部かのようになっており、そこを開けば、24時間途切れることのない他者からのアウトプットが広がっているし、テレビをつければ、そこにはまた自分の思考とは一切関係ない他者の思考のアウトプットがあり、受け身でしかないのである。
本も然りである。
本を開けばそこには著者のアウトプットを味わうことに他ならない。
携帯が今ほどに普及していなかった時代でも、すでにテレビやラジオは充分に普及していたわけであるから、孤独になれる人なんかは相当に稀有な人のみだったのではないかと思う。
先日、たまたまテレビを観ていた際にガラケーを持っている人たちの特集がされていたのだが、その人たちがやたらに落ち着いた印象があり、携帯から発せられる過剰なまでの他者からのアウトプットにさらされる頻度が少ない分、穏やかに自分の時間を過ごしているように見えて、とても羨ましく思ったのである。
そこで、書籍『デジタル・ミニマリスト』を過去に読んだことを思い出し、再度読み直すことにより、アナログが持つ力を再考したいと思った次第なのである。
書を捨てよ町へ出よう
書籍では、孤独の価値を見直すためにいくつものティップスを提案してくれている。
例えば、
・スマートフォンフォンを置いて外に出よう
・長い散歩に出よう
・スマホからソーシャルメディアを削除しよう
・スマホの画面をモノクロにしよう
・フィーチャーフォン(日本でいうところに〝ガラケー〟)に戻そう
・デバイスをシングルタスクな道具に戻そう
などといったものがある。
ガラケーに戻すのは、なかなかに荒療治であるので、小さな習慣から始めてみようと考えると、ちょっと近所まで買い物にいくとか、軽いランニングをするとかいったときには家に置いていってみようかと思う。
そして、スマホがあまりにも魅力的すぎるがゆえに利用時間が天井知らずとなるので、味気ないものに感じる心理的効果があるという、画面を「カラーからモノクロ」へ、これを試してみたい。
あとは、スマホの画面にある無数のアプリの有無を見直し、整理していくのもいいよね。
そして、ソーシャルメディアを削除して、パソコンで見るようにするというのもアリである。
そうしたら、見るたびにいちいちパソコンを立ち上げるという手間が生まれるわけだがら、1日を通して、他者からのアウトプットにさらされる時間は少しは減るのではないかと期待できる。
〝よい人間関係〟と〝孤独〟の両方の領域をいい塩梅で行き来できるようなテクニックが現代においては求められているのではないだろうか?
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