いまを生きるということ

Health

カルぺ・ディエム

今日もご覧いただき、ありがとうございます。
WIC(wellness investment club)のtoshiです。

そもそも〝wellness〟とは何ぞやと?
wellnessとは、
輝くように生き生きとしている状態
本人が病気であるか否かだけに注目せず、健康を手段とし、生き生きと輝く人生を目指す姿勢や志向
1961年に米国のハルバート・ダン医師が提唱したそうである。

そんなwellnessでいるためには、「食事」を整えることが、人生における土台作りとして、とても重要だと私は考えている。
wellnessとは、いわば自分への投資なのである。

このブログでは主に食事のことや、健康、ダイエット、そしてミニマリストへの憧れがあるので、ミニマリズムについて綴っていることが多いと思う。

今日は「時間」について考えていきたい。

最近、映画『いまを生きる』を10数年ぶりに観た。
映画は、出会うタイミング次第で自分への浸透具合や引っかかってくるもの、感動するシーン、理解度などがまるっきり違ってくるものだなと、見終わった後でしみじみと感じる。
過去に観た時よりも、より主人公のセリフが心に突き刺さってくるものがある。

この映画は、ロビン・ウィリアムズ扮する主人公の教師ジョン・キーティングが昔、自分が通っていた全寮制の名門進学校に英語教師として赴任してくるところから物語が展開していく。
キーティング先生は、型にはまらない破天荒な授業を通して、詩の美しさや人生の素晴らしさを生徒に説いていくわけであるが、ある日、キーティング先生は学校内に飾られている過去の生徒たちが映った色褪せた写真を見るように促す。
そして、生徒たちにこう語りかけるのである。

君たちと大して違わないだろう?自分は無敵だと思ってる。君たちと同じようにね。目は希望に溢れている。でもね、紳士諸君、みんな今は水仙の肥やしになっているんだ

キーティング先生は、生徒たちをさらに写真に近づかせ、墓からのメッセージに耳を傾けてみろと告げる。
そして、皆の後ろに立ち、声をひそめて幽霊のようにこう囁く。

カルペ…カルぺ・ディエム。 いまを生きろ、少年たちよ。君たちの人生を特別なものにするんだ

カルペ・ディエムとはラテン語で「この日を捉えよ」とか「いまを楽しめ」という意味。

いまを生きる」、最近、育休中にwellnessな自炊の枠組み作りをしており、料理とは、ある意味、没頭できる行為であり、自炊をするという行為は、未来の健康のために行っていることではあるものの、マインドフルネスになれるということで、とても「いまを生きる」ということにも繋がる行為なのだなと映画を観ながら、関連づけてみたわけである。

未来といま

書籍『LIFE SPAN 老いなき世界』(デビット・A・シンクレア/東洋経済新報社)によると、

私たちは時間をかけて苦しみながら死んでいく。豊かな国に住んでる人は、次々と病気に見舞われながら人生最後の十数年を過ごすことが多い。私たちはそれが普通だと思っている

医師で作家のアトゥール・ガワンデは次のように指摘している。私たちは寿命を延ばすことに成功したものの、そのせいで、「晩年=医療を受けること」という図式を生んだ、と。

とある。

未来のために「いま」を犠牲にして得た先に待っているのが、次々と襲ってくる病気に見舞われながらも寿命をただ延ばすための医療を受けるというのは、あまりにも滑稽すぎるように感じはしないだろうか?

平均寿命と健康寿命という2つの指標がある。
平均寿命とは、「0歳における平均余命」のことで、2019年の段階の平均余命は男性で81.41歳、女性で87.45歳であるという。
そして、健康寿命とは、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」のことをいい、2019年時点において、男性は72.68歳、女性は75.38歳となっている。
平均寿命と健康寿命の開きは、男性で約9年、女性で約12年もあるのである。

これが何を意味するのかというと、長生きで健康長寿な国、日本と喜び誇ってはいるが、実のところは、老後の約10年程度は不健康な状態で生き長らえていかなければならないということ。

わたしはエッセンシャルワーカーとして、日々そういった方々と接する機会が多いのだけれども、慢性腎不全から透析を余儀なくされているとか、インスリン注射が今後の人生についてまわってくる2型糖尿病を患っている人、がん治療のために放射線や化学療法で闘病中であり、副作用に悩んでいる人、脳卒中で失語があったり、手足に麻痺があって甚大な後遺症に苦しんでいるとか、もしくは意識もなく呼吸器に繋がったままで延命をしているといった方々やその介護に追われる家族を見るにつけ、生きるとは何だろうということを身近に考えざるおえない環境にある。

LIFE SPAN』で指摘されているように、ヒトはあまりにも未来志向がゆえに、時間をかけて晩年は医療を受けながら苦しんでいくケースが多いのである。

未来の自分の幸福のために、目の前の仕事に没頭し、忙殺されているがために、日々の目の前の食事に関しては、無頓着でおろさかになってしまう。そして、気づいたら不可逆的なスパイラルに陥っているといったケースはたくさんあると思う。

難しいところである。

「いまを生きろ」というスタンスが大事なのであれば、「いまが良ければそれでいい。」、「いま、この瞬間が大事。未来なんて知ったことか。」といって、将来のことなど考えなくてもいいかといったら、それはそれで生活が退廃的な状態に陥ってしまう。
ある程度は未来のゴールを思い描きながら、生活をしていかないと、立ち行かなくなる。

でも、あまりにも私たちは見通しがつかない遠い遠い「未来」のために「いま」を犠牲にしすぎて、カラダの声を無視して、その声がいつの間にか、聴こえるような余裕もなくなるくらいの疾走感でもって、現代を生きているような気がするのは、わたしだけではないだろう。

自炊こそソリューション

ここで、自炊なのである。

自炊は、没頭することで「いま」を感じることができるし、wellnessな自炊は自分及び家族も、それを食することで、「いま」が繋がりあっていき、「未来」にまで健康を維持していける。
自炊とは、みんなが笑顔になれるという、現代社会におけるひとつの「ソリューション」なのである。

その自炊という行為をこれまで女性にあまりにも背負わせてはいなかったかい?ってことを自分の胸に聞いてみたわけなのである。

そうした結論として、男性もこれからの時代は時間の許す限りにおいて、自分と家族が口にするものの責任を負うべきなのであると思った次第である。
「いま・ここ」というフローを自炊により体験できるようになれば、おのずと「未来」もより良いものとなっていくように感じる。

ということで、今日は何を作ろうか?

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