村上式シンプル英語勉強法から学ぶ

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英語学習法から自炊を学ぶ

初めに申し上げておく。
ここでは、英語勉強法から単に英語学習を学ぶわけではないということを。

これから展開していくのは、村上氏の英語勉強法から学ぶ自炊のパラダイムシフトである。

ここへと至った経緯を簡単に話していきたい。

自分は現在、第2子が産まれたのを機に男性として育休を取得しようと思い至り、絶賛、育休を取得している身なのである。
第1子誕生の際には、そんな事は微塵も考えずに男は仕事に邁進すべし、育休なんて女性の仕事とばかりに…、周囲にモデルケースもいなかったという言い訳もはさみつつ、育休のいの字も頭を去来することはなかったのである。
無知とはかくも恐ろしいものよと、今になっては、立場を180度変えている訳だけれども。

そんな事で、育休中に自分がすべき事として、育児はいわずもがな、料理について学びを深めていこうと考えた訳である。
そして、料理といったら、レシピ本は必須だよねって事で、大型書店に本を探しに行くことから始めた次第である。
しかし、そこで目にしたものは、果てしない数にのぼるレシピ本の山々である。
かつて観た映画「十戒」でモーゼが割った紅海のごとくに、その両方の書棚に位置している本たちが、自分を圧倒してきて、その場で頭痛や嘔気、めまいに襲われ、あやうく、そのあまりの情報の多さにそのまま本の津波に意識を持っていかれそうになったのである。

レシピ本とは…、一種の罠である。

あまりの選択肢の多さで、どれかを選ぶことが出来ずにその場を逃げるように立ち去ったのである。

後日、本屋での傷が多少、癒えたところで本屋に行かなくても、このご時世、ネットでレシピなんて検索できるじゃん、っていうポジティブさを取り戻したところで、麻婆豆腐を作ろうと思い至り、携帯で検索してみるのである。
しかし、そこで引っかかってくる麻婆豆腐のレシピの多さよ。
たかが、麻婆豆腐といえども、海千山千の料理研究家の方々や料理好き、料理上手の衆が果てしない数のレシピをあげているのである。
そして、めいめいがそれぞれの料理哲学でもって作っておられるので、たかが麻婆豆腐、されども麻婆豆腐で、バラエティーに富みすぎているのである。
本屋での傷が完全に癒えたとは言えない体にこれである。
PTSDがごとく、本屋での出来事がフラッシュバックしてきて、料理をしようとする意欲を根こそぎ奪い取っていったのである。
そこで、抜け道として、

加工食品を使ってしまってもいいんじゃね?

という、もう一人の自分の声がどこからともなく聞こえてくるのである。
人間とは、かくも自由自在にもう一人の人格を作り、言い訳を正当化できるものよと驚きを隠せない。

「ほら、最近テレビでもタイパ商品特集とかやっている訳だし、時代だよ、忙しい現代において手間暇かけるのなんてね」

という風に、満面の笑顔でもう一人の自分が畳みかけてくるわけである。

そこで、近所のスーパーに直行、すかさずに他のものには目もくれずに麻婆豆腐が売っている売り場に行くのである。
しかし、そこでも、各社から競って出されている麻婆豆腐の数の多さよ…。
本とかネットと比較すると、まだ幾分少ないものの、微妙に選択する際に脳に負担を課してくるわけさ。
また、PTSDのごとく、本屋やキッチンにおける茫然自失な自分の姿が去来し、麻婆豆腐のパッケージを持ちながら、意識が遠のき、膝が折れるのをなんとかかんとか我慢し、何も買わずにその場を後にするのである。

救いは村上氏メソッドにあり

ここで、帰りの車の中で、昔読んだある本を思い出し、その思考法がこの閉塞感を打破してくれるのではないかと、久方ぶりに断裁して、スキャナーで取り込んでおいた〝ある本〟に期待を込めたのである。
そのある本とは、

村上健郎氏の『村上式シンプル英語勉強法』なのである。

村上氏は元Googleアメリカの副社長兼日本社長となった人であり、本書には、そんな氏が、30歳で外資系企業に就職した際に必要にかられて身に付けた珠玉のメソッドについて書かれているのである。

村上氏は言う。
英語なんてせいぜい自転車を乗りこなす程度の術であり、それ以上でも、以下でもないのだと。
英語の勉強は自転車に乗る練習と同じ。鍛えるのは、英語を使いこなすための筋力であり、知力ではない。英語は語学ではなく〝語力〟なのである、と。
美しく乗ろうとか、かっこいい自転車に乗ろうとか、そんなことはずっと後でいい。自転車の構造云々にしても知らなくてもいいのだと。

この言葉にとてつもなく救われる思いがしたのである。
これって、自炊における思考法にもなり得るのではないか?
そして、この氏の英語学習法を育休中における自分の料理の学びに昇華することを決意したのである。

上記の氏の言葉を自炊とか料理に当てはめてみると、

自炊なんてせいぜい自転車を乗りこなす程度の術であり、それ以上でも、以下でもない。
自炊の勉強は自転車に乗る練習と同じ。鍛えるのは、料理を使いこなすための筋力であり、知力ではない。自炊は自炊学ではなく〝自炊力〟なのである。
料理を美しく作ろうとか、SNSで映える料理を作ろうとか、そんなことはずっと後でいい。料理や自炊の成り立ちとかと言った細かい云々にしても知らなくてもいいのだと。

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